ブログ管理ツール変更
今までWTを使っていたのですが、今回変えてみました。
まだ設定中なのでレイアウトが、崩れたりアクセス出来なかったり
するかもしれませんがご了承お願いしますね。
今までWTを使っていたのですが、今回変えてみました。
まだ設定中なのでレイアウトが、崩れたりアクセス出来なかったり
するかもしれませんがご了承お願いしますね。
前回のGWの記事もまだ途中なのに
今日から、沖縄行ってきます。
今回の目的は、旧盆エイサー追っかけかなw
今日は、興南の決勝戦ですが、その最中は
機上の人なんで、着いた頃に結果が出ているかな。
勝っても負けても今日は那覇市で宴会だ~。
(おじー自慢のオリオンビール見たくw)
ここで、中城城跡についてwikipediaより引用
中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡
北中城村・中城村に存在した日本の城。
15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸の
グスク(城)として知られる。
創始は明らかではないが、14世紀後半ごろ
先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代に
わたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の
主要部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味城から
移ってきた尚巴志の家臣、護佐丸盛春によって、
三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したようだ。
増築されたその部分の城壁は「相方積み」という
高度な技法で積み上げられている。
また、裏門以外に一の郭の2つの城門がアーチ式門と
なっていることから、その時同時に殿舎のある
一の郭の城門をアーチ式に改築したと考えられる。
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そして、1458年に護佐丸は王府軍としてやって来た
阿麻和利の策略(首里王府の策略という見方もある)に
攻められ自害して滅びる。
その後、「中城王子の居城」→島津侵入
(1609年)後は「番所」→廃藩置県(1879年)後は
「中城村役場」として戦前まで利用されてきた。
また、1609年以後の薩摩の植民地時代は、
中国からの冊封使節団が来琉した際、薩摩の役人は
自らの存在を中国に知られないためにここに隠れていた
という伝承もある。
日本に開国を迫ったアメリカのマシュー・ペリー提督が
1853年5月に沖縄本島を訪れ、ここも訪ねた一行は
城を見て、特に真ん中のアーチの門の建築土木
技術水準の高さに驚嘆し、この城に関する詳細な
報告文を書いている。
1945年(昭和20年)沖縄本島では太平洋戦争の
沖縄戦により多くの文化財が消滅したが、
中城城は戦争の被害が少なかったため、
グスクの石積みが良好に残った城だと
言われている(戦後に補修が行われた)。
だそうです。
よく護佐丸の居城と言われていますが、その護佐丸の
お墓が近くにあります。
(歩いて10分ぐらいかな。)
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(続きを読む…)
斎場御嶽を出て向かった先は、中城城跡です。
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まあ、普通は南風原北ICから高速に乗って北中城ICで、
下りて行くのが妥当ですが、それでは面白くないので
与那原の交差点から329号で、北上です。
この道は初めてですが、結構走りやすかったな~。
しかも、329号から中城城跡へ向かう道には成田山福泉寺が
あります。
ここは、成田市にある成田山新勝寺の末寺にあたり
初詣時には、たくさんの人で賑わうお寺ですが
さすがにGWには駐車場には、ほとんど車は止まって
いませんでした。
寄っていこうかと迷いましたが、今回はパスと言うことでw
山が少ない沖縄にあっても、意外と急な坂道を上がりきると
中城城跡に到着です。
向かいには、自動車教習所(普天間自動車学校)があります。
路上研修には、この坂道を使ってるのかな。
駐車場に入ろうとすると、気がついたことが・・・。
(続きを読む…)