5月の時に見た、美栄橋駅にある観光案内板を
9月に行った時に廻ってみました。
元記事はこちら
まずは、十貫瀬の七つ墓です。
ここは、続きのような伝説がある場所です。
美栄橋駅からも一目瞭然で判る場所なのですが
いくら廻っても入り口が判りません。
どうも、よそ様のおうちの脇を通らないと
たどり着けないようで、近くまで行くのはあきらめました。
ただ、道からは近いのでカメラの性能を生かして
写真を撮ってみました。
ガジュマルの木に覆われているけど
お墓らしいものが見えますね。
名前の由来どおりに7つお墓が
あるらしいのですが、よくわかりませんでした。
昔むかし。
那覇市泊村の崇元寺の近くの十貫瀬前に、『七つ墓』と
呼ばれる墓地があった。
その十貫瀬から久茂地村寄りに、雑貨や駄菓子を商う
『マチヤ小』(商店)があり、一人暮らしのお婆さんが
細々と営んでいた。
夏のある日の夕刻。いつの間に入ってきたのか、一人の
若い女が店の中にたたずんでいて言った。
『ハンシー〈お婆さんに対する美称〉たい。マチバ小を
下さい。』と言って何枚かの穴空き銭(一厘銭)を
差し出した。
※『マチバ小』は小麦粉を練り、松葉状にして油で揚げた
駄菓子である。
女の手は細く白い。怪訝を覚えながらも老婆は、『マチバ小』を
出して渡した。
『にふぇーでーびる』と言った女の声はか細く、うつむき
かげんの顔には、ほとんど表情がなく、透けるような
青白さであった。
人通りの少ないここら辺りでは、この若い女がその日の
最後の客だった。
女が帰るとお婆さんは店を閉め、戸締まりすると夕餉の
前に1日の売上げ勘定をするのが常であった。
早速、銭入れの木箱から売上げ金を出して広げたのだが、
その中に黄茶けた見慣れない物がいくつか混じっている。
銭型は見られるが一厘銭では決してなく古紙としか思えない。
どうも打ち紙から銭型だけを丸く切り取った物のようだった。
『ちゃーした事がやぁ』
そう思いながらも、幾日が過ぎた。しかし、異変は
2日越し3日越しに起きる。しかも、件の若い女が『マチバ小』
を買いに来た日に限って起きる。
そこは年期の入ったお婆さん。気丈夫にも若い女の正体を
見極めることにした。
1日おいた日の夕刻、例によって若い女はやってきた。
『ハンシーたい。マチバ小を下さい。』
この日も女の声はか細い。平静を装った老婆は、女が差し出す
穴あき銭を受け取り、『マチバ小』を渡した。
『にふぇーでーびる』と言うと、女は歩いているとも
浮いているともつかない足どりで帰って行った。
お婆さんは、女のあとをつけて見ると、女は十貫瀬の七つ墓・
墓地の前で立ち止まり、墓口の開いたひとつの空墓に風の
ごとく入ったではないか。しかもその空墓の中から赤児の
泣き声がする。お婆さんは抜けそうな腰をようやく支えて、
家に駆け戻った。
翌日、お婆さんは近所の人たちに昨夕の一件を話し、
空墓を調べることにした。
そこには、死後7日は経っていない若い女の遺体が
横たわっていた。
しかも、その脇には生後間もない赤児が『マチバ小』を
しゃぶりながら黒目を動かしている。お婆さんと人たちは
すぐに、女を手厚く葬り、赤児を連れて帰った。
この一件を調べてみると、ある男が浮かび上がった。
女の夫だった。この男、病の床に伏した、しかも臨月の
妻の看病もせず、それどころか
『どうせ病妻の命は長く持つまい。腹の子も、この世の光を
見ることは叶うまい』
と、七つ墓の空墓に放置したという。
死ぬに死にきれなかった病妻は、
『この子だけはッ。お腹の子だけはッ』との執念で、病に耐え
命の残り火を懸命に燃やし、子を産んだ。
そして同時に力尽きて絶命したのであろう。
しかし、母となった女の魂は肉体を離れてもなお生き続け、
我が子のためにこの世を離れず、夜な夜なお婆さんの
『マチヤ小』に通って『マチバ小』を求めて赤児に
与えていたのだった。真相を知ったお婆さんや人たちは、
三世相(易学)や霊的能力を持つ呪術女ユタを招き、
女の成仏祈願と御祓いを行なった。
以来、女の霊は現れることはなかった。女が使用した
銭代わりの打ち紙は、他の墓前で焚かれた残り物だった。
妻子に薄情をした男の悪行は、役人の知るところとなり、
重罪を科せられたのは言うまでもない。


「続きを読む」を読み逃していました…σ(^_^;)
この物語は有名な話ですが、その場所がいつもゆいレール美栄橋から見えていたあのお墓だとは驚きました。
もしかして、封印してあって本来なら誰も入ることも観ることもできないはずだったのが、ゆいレールによってあらぬ角度から見えるようになってしまったのでしょうか…?
実は管理が、かなりずさんだったらしく
脇には、ごみの山があったりして
結構荒れていたみたいですよ。
去年には、改葬の話もあったみたいだけど
(あそこにある墓は、どうも無縁墳墓らしく
葬られている人もはっきりとわかって
いないようです。)
その看板も今はないそうです。